重箱

好きなものをつついていく

小糸侑のずるさについて

七海燈子は身勝手だ。やがて君になるを6巻まで読んでそう思う人は多いだろう。わたしもそう思っていた1人だった。

この話は小糸侑が主人公だから、物語はほとんどが彼女の視点で進む。新緑の頃出会った先輩七海燈子は突然侑のファーストキスを奪い、付き合わなくていいから好きでいさせてほしいと言う。侑が心を開きかけた時に判明するのは、燈子が「誰も好きになれない人間」だからこそそんな侑を好きになったという事実で、侑はこれからもあなたを好きにならないという宣言をすることで燈子に安心と保険を与え、芽生えかけた自分の気持ちに蓋をする。こうして幸運にも(不幸にも?)歪なもの同士が噛み合ってしまったことで始まるのがこの物語だ。
この後も燈子が侑の気持ちを慮るシーンは少ない。あったとしても、甘えすぎて侑に嫌われたくない、侑の優しさを使い尽くしてなくなってしまうのが怖い、という自分本位のものばかりだ。

物語が提示する図はこうだ。燈子の独特すぎる価値観と突発的な行動に振り回されながらも、健気に彼女を理解して合わせようとする主人公。19話で侑自身が菜月に燈子のことを愚痴る場面や18話で燈子が最後のドーナツを食べてしまう描写でも彼女の身勝手さが強調される。

しかしなぜ、侑は燈子と一緒にいたいのか。なぜ気持ちを隠すのか。表面上それは燈子のためだ。侑は燈子を選ばないけれども、燈子が自分を選ぶなら一緒にいるのはやぶさかでない。それが初期のスタンスだった。

 

10話『言葉は閉じ込めて』

燈子の真意が明らかになり、侑は「向こう岸」へ行ってしまおうとする燈子を引き止める。その時に侑がとっさに燈子にかけた言葉はこうだ。

「本当は寂しいくせに」

これに対して燈子は肯定も否定もしない。ただこの言葉を耳にして、侑に背を向けたまま歩みを止める。
この言葉について、とっさに発した言葉でよくあれほど燈子の核心を突く一言を言えるものだと感心していた。しかし、この言葉の直前のモノローグを思い出してほしい。

先輩と一緒にいられないなら
わたしに誰が好きになれるの

いやだ

燈子のことなんて考えていない。更にこの前の9話では、両親や祖父母、姉と彼氏を見つめ、誰ともペアになっていない寂しさを感じている侑が描かれている。

寂しくないなら
誰も好きにならなくていいもん

続く言葉にも侑自身の心境がオーバーラップする。
燈子の真意にかこつけたこの言葉に見え隠れするものは、好きになれるかもしれない、と思った人を逃したくないという侑の生々しいエゴだ。
誰かを好きになりたい。自分の寂しさを埋めたい。それには燈子の好意がちょうどよかった。今燈子を失うことは、誰かを好きになるチャンスをふいにしてしまう恐怖でもあった。
そのために侑は両腕を隠し、本心を隠し、嘘をついた。自分の寂しさを燈子に押し付けて。

 

13話『降り籠める』

口に出されなかった燈子の願いを、侑は正しく理解していた。しかし蓋をしたはずの気持ちは些細なきっかけで顔を出し、燈子を身構えさせる。
そうだった、これは出してはいけないものだった。慌てて取り繕う侑はやはり「ずるい」。雨に濡れた体は冷えて寒いけれど、今以上の温かさを望めば隣の人はきっといなくなってしまう。だから肩で触れる体温を感じながら、侑は目を閉じる。

 

18話『昼の星』

心臓が鳴らした号砲に気づかないふりをしている侑は、合宿の話をしながら燈子を煽るような発言をする。まるで自分が燈子を意識し出す前、燈子が侑の部屋にきた時の力関係を模倣するかのようだ。
食べたかったドーナツを取られ、名前を呼ぶこともできない彼女は、燈子をまたずるいと評する。しかし11話で簡単に呼んでいた名前を今では呼べなくなってしまったのは、一方的に侑の問題であって、燈子の責任ではない。それを隠して変わらぬ自分のふりをし続けることを、ずるくないとは言わせない。

 

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エゴ丸出しの侑大好きです。この子は人間だ。

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4月27日発売の電撃大王の1P目は、こういうものだという。

選択しないということは、選択した結果の責任を持つことがないということでもある。
部活選びに合宿の買い物と、物語を通して侑の優柔不断さは何度も描かれてきた。
7巻収録の38話で、ある人物が選択することについて語っていた。あの描写を経ての40話。

小糸侑が、選ぶ時が来る。

 

やがて君になる(7) (電撃コミックスNEXT)

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