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好きなものをつついていく

『やがて君になる』キャラクターがコマからはみだすとき

この記事は有志による非公式企画「やがて君になる Advent Calendar 2020」に参加しています。


 仲谷鳰による恋愛漫画やがて君になる』が2019年秋に完結し、最終巻が発売されてから1年が経過した。
 この1年の間に様々なことがあった。2020年春からはコロナウイルスが流行し、東京オリンピックは延期され、2020年秋に上演予定だった舞台『やがて君になる』encoreも延期になり代わりに朗読劇『佐伯沙弥香について』が上演された。個人的には2019年末に生まれて初めて同人誌を作り、コミケに初サークル参加したのだが、そこからもう1年も経ったのかという気分である。

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 今回、Advent Calendarといういい機会をいただいたので、前から気になっていた「やが君のキャラクターはどれだけはみだしているのか」を調査していこうと思う。
 比喩的な意味でなく、文字通り、「人物がコマからどのようにはみだしているのか」を調べていく。どのキャラクターがもっともはみだしているのか? そしてその狙いはどこにあるのか、何のためにはみだしているのかを考えてみたい。

 「コマからはみだす」というのがピンとこない人はいるだろうか。例を図示するとこうだ。

はみだしドラちゃん

はみだしドラちゃん

 この技法の正式名称は調べても分からなかったので、この記事では「はみだし」と呼んでいくことにする(名称ご存知の方教えてほしい)。はみだしの目的としては、「読者にキャラクターを印象づける」「アクションシーンの躍動感を出す」「時間の経過を表す」などが思いつくが、それ以外にも意図されるものはあるだろうか。

 前置きはここまでにして実際に見ていこう。文字だけではいまいち伝わりづらい部分もあると思うので、『やがて君になる』をお持ちの方はぜひ手元に置いて該当箇所を参照しながら見ていただければと思う。

1巻
1話 『わたしは星に届かない』
侑(初登場・全身ぶち抜き) 侑(振り返る)
2話『発熱』
久瀬(初登場) 燈子・沙弥香・侑・槙(かんぱーい!) 燈子(バレー) 立候補用紙 侑・燈子(わたしが聞きたいです)
3話『初恋申請』
なし
4話『まだ大気圏』
燈子(連休明けは~) 菜月(初登場) 燈子(わっ)
5話『わたしを好きな人』
沙弥香(緊張してる?) 

 1話目、1P目から堂々の主人公。全身ぶち抜きである。ページをめくってすぐの再登場でもはみだしている。主人公が読者に印象付けられなくては話にならないので、これでもかとコマからはみ出すし、これでもかと名前を呼ばれる。意外だったのは燈子がまだはみだしていないこと。ただ、はじめ2P顔を映さずにおいてめくりの大ゴマで顔を見せたり、その直後のロングショットで自己紹介したりしているので、やりすぎるとしつこいと判断したのかもしれない。

 2話目はまさかの久瀬会長。そしてまさかの立候補用紙。無機物は想定していなかったので見つけた時笑ってしまったけど、大事なプロップ(小道具)ならそういうこともあるよね。ちなみに無機物としてまた別のものが後の巻ではみだすので、何なのか予想してみてほしい。
 久瀬会長をはじめ、重要度の高い人物が初登場する場合ははみだしていることが多い(久瀬会長はこの話以降出てこないけど)。1話のこよみ、朱里、沙弥香、槙がはみだしていないのは、まず主人公とヒロインにフォーカスを当てたいという意図か。
 バレーをする燈子のはみだしはアクションシーンだから、というのが大きそう。あとは運動もできるキャラですよというアピールかも。

 4話、菜月も初登場はみだし。燈子の「わっ」は、「意外な人が来た」印象の強調か。
 5話、沙弥香はメインキャラとしての登場が2話以来だったため、重要キャラだということを読者にアピールする意図か。こういう「ちょっと久しぶりだけどこの人は大事なキャラですはみだし」はかなり頻繁に使われる。


2巻
6話『好きとキスの距離』
堂島(初登場) 燈子(キスしたい)
7話『役者じゃない』
侑(接待シーン) 
幕間『深読み書店』
なし
8話『選択問題』
なし
9話『続・選択問題』
侑(ただいまー) 
幕間『夜明け前のこと』
燈子(燈子は誰とでも親しげに接するし〜) 沙弥香
10話『言葉は閉じ込めて』
侑(見てみたいけど……) 沙弥香(さ佐伯先輩!?) 
十話『言葉で閉じ込めて』
幼い燈子

 6話、堂島初登場はみだし。コマからははみだしているものの、上のコマにははみだしていないと言うちょっとレアなパターン。キスしたいの燈子は、存在感が増す=侑から見て距離が縮まったことの表れ?ここの意図についてはちょっと自信がない。
 7話ははじめ侑をつついて面白がる槙くん視点で話が進むが、接待シーンからは一時的に侑の心境にフォーカスが戻るという合図に見える。
 幕間の燈子は、明らかに隣に座る沙弥香から見られている姿だ。はみだしの意図として、このように「誰かから見られている、客体として存在している」ことを強調したいときに使われることがあるようだ。
 10話の侑は、バックに描かれている弱みを見せる燈子を考えている、思考に没頭していることの表現か。対して次ページの沙弥香のはみだし(下側がはみだしている珍しいタイプ)は、沙弥香の出現に驚いている侑の心境にクローズアップする意図がある。幕間の燈子と同じ用法だ。
 十話の幼い燈子のイメージカットをはみだしと数えるべきか迷ったが、煙の線でコマ割りされていると判断して1カウントした。周りからの悪意のない励ましの声が、積み重なるうちに燈子の人格形成に強い影響を及ぼしていくことがわかる。用法としては10話の侑と共通している。


3巻
11話『秘密のたくさん』
朱里(助けてー) 燈子(完璧な私) 都(お風呂お先) 
12話『種火』
沙弥香(1p目) 都(あら?こんにちは) 
幕間『その頃のお姉ちゃん』
侑(全身ぶち抜き) 怜(あんた真面目ねー) 燈子・怜(レシピ教えてもらえませんか) 怜(まさかね?) 
13話『降り籠める』
侑・燈子(相合傘)
14話『交点』
なし
幕間『先輩、後輩、その後輩』
なし
15話『位置について』
侑・燈子(体育祭の進行) 
16話『号砲は聞こえない』
都 芹澤(初登場) 侑(リレー) 侑、燈子(キス)

 11話の朱里は「久しぶりはみだし」。燈子は「後ろに隠した私」が影となって描かれているのと対照的に、光を浴びる「完璧な私」の強調だろう。ここの部分はアニメのカメラワークも面白かった。
 12話の沙弥香は、1P目にはみだしキャラを置くことで、今回の主役が誰なのかを示していると思われる。この手法は4巻の幕間や7巻37話など、沙弥香が主役の話でよく使われる。
 ちょっと話が逸れるけど、幕間の小糸姉妹はぶち抜きの侑を加えると同じシーンの会話を4方向からのカメラで撮っているような描き方がおもしろい。13話の侑の回想の手が窓から差し出す現在の手と重なる演出にも見られるように、仲谷先生は映像を切り取るようなやり方でコマ割りをする人なのかもしれない。
 13話の相合い傘は、見せゴマであると同時に帰り道を歩いている時間の経過の意味もあるだろう。この用法でわかりやすいのが15話の体育祭のはみだしだ。生徒会長の挨拶から始まり、ハードルを飛び越える侑のバックにモブの走る姿が描かれることにより、体育祭が進行していく様を表している。また、16話のキスシーンにもこの「時間の経過」技法が適用されていること(プラス、長めのモノローグが重ねられていること)により、相当長い間ふたりがキスしていることが自然と理解できるようになっている。


4巻
17話『私未満』
なし
18話『昼の星』
燈子(侑おはよう) 燈子(合宿をしませんか) 
幕間『初恋はいらない』
沙弥香(髪をいじる) 千枝(flip flop) 
19話『逃げ水』
侑(寝転んでゲーム) 侑(ランニング) 菜月(久々の登場) 侑・菜月(買い物) 
20話『三角形の重心』
燈子(劇の主人公) 燈子(脱衣) 市ヶ谷(顔出し初登場) 
21話『導火』
燈子(発声練習) 沙弥香(花火する一年をバックに) 侑(燈子と沙弥香を見つめる)
22話『気が付けば息もできない』
沙弥香(コンビニで) 燈子(甘えちゃうと思うんだけど) 

 4巻もバラエティに富んだ使い方がされているはみだし。幕間柚木千枝、19話菜月の「久しぶりはみだし」19話侑の「アクション」21話沙弥香の「ここからの主役」。中でも注目したいのがまず20話、脱衣所での燈子だ。これは2巻幕間と同じ、「誰かから見られている」ことを強調したい意図がある。誰の視点かは言わずもがなだ。
 そして21話ラストのコマの侑。はみだしが1P目にくることは多いが、最後に来るのはやが君ではとても珍しい(他の例は5巻巻末漫画の侑くらいだ)。沙弥香が一歩踏み込み、燈子と心を通わせる一方で、それを遠くから見つめる侑の表情は穏やかではない。ここまで無表情だったことはあっても、怒りともとれる顔を見せるのは初めてのことだ。侑にはセリフもモノローグもない。はみだしによって強調される侑の心境は言葉では語られず、読者には理解力が求められる。個人的にはこういう表現は、作者から読者が信頼されているような気がしてとても好みだ。


5巻
幕間『これまでとこれから』
侑(Echoに入店) 
23話『終着駅まで』
燈子(お墓参り) 
24話『灯台
侑、燈子(着いたー!) 侑、燈子(水族館)
25話『憧れの着地点』
槙(やあ) 
26話『共演者』
なし
27話『怖いものひとつ』
燈子(何を知っているというの) 侑(知ってるよ) 
28話『願い事』
なし
巻末漫画
侑(悪くはない かな)

 5巻ははみだしが控えめ。なんと槙くんは単品でのはみだしは25話が初めてという控えめさだ。23話の燈子は、その後ろのコマに描かれたものと合わせて、その事物に対してはみだしキャラの心境を読者に考えさせる効果がある。21話ラストの侑と共通した用法だろう。
 27話の燈子と侑のはみだしは難しいな……。二人のしゃべっている内容は劇が変更された部分の掛け合いセリフであり、燈子を変えようと動く侑と、それに反発する燈子の現実の心境を表す言葉でもある。その二重の意味を読者に示唆するための強調だろうか。


6巻
29話『開幕』
なし
30話『前篇』
少女:燈子(私は…誰だっけ……?) 同級生:堂島(初登場) 弟:槙(初登場) 弟:槙 恋人:沙弥香(初登場) 恋人:沙弥香(なんでも聞くわ) 少女:燈子(私にも 永遠に!) カーテン 
31話『後篇』
少女:燈子 看護師:侑 少女:燈子(こんにちは) 少女:燈子(来てくれたのね!) 恋人:沙弥香(退院も近いわね) 少女:燈子(杖で立ち上がる) 少女:燈子(違ったんだね) 少女:燈子(ありがとうこれまでの私) 
32話『舞台の下で』
なし
33話『助走』
なし
34話『零れる』
なし

 圧倒的な少女のはみだし率! 調査を始める前は生徒会劇だけでこんなにあると思っていなかったので、登場人物のはみだし具合に思わず笑ってしまった。でも考えてみれば劇中劇の登場人物はみんなこの話で初登場なので「初登場はみだし」が増えるのは当たり前だ。更に、少女以外の3人が初登場するときは必ず「少女から見た角度、姿」ではみだしている。少女が緊張して出迎えているからだ。そう考えれば病院に看護師がいるのは普通のことなので、看護師が初登場ではみだしていないのは当たり前の描き方だと言える。
 2話の立候補用紙以来の無機物はみだしの答えは劇中で少女が握りしめるカーテンでした! カーテンの裾が次のコマの少女の視界をも覆い隠し、視界を遮る。コマの端のラインがそのままベッドの端に見立てられ、垂れ下がる描き方が面白い。
 31話の少女が友人・恋人を出迎えるときのはみだしは、深読みすれば「誰かから見られている」用法を発展させた「見られていることを本人が意識している」はみだしではないだろうか。もちろん、少女が演じているそれぞれの役柄を読者にわかりやすく提示するため、という目的もあるだろう。
 (違ったんだね)の少女のはみだしは、5巻27話で同セリフを練習していた頃の燈子とは打って変わって、明るい表情であることの強調だろうか。27話では右方向(過去)を向いていたのに対して、今回は真左(物語の進行方向、未来)を向いていることにも留意したい。さらに言ってしまえば少女最後の二つのはみだしは侑視点での燈子という読み方もできるかな……。私はもう大丈夫、と松葉杖(≒侑)を置いて一人で起つ燈子を見つめる侑。さすがにそれはこじつけすぎか。
 30話表紙の燈子をはみだしとカウントするかどうか迷ったけど、コマではないと判断してここは数に入れないことにした。これを入れてしまうと4巻18話の表紙の侑も入れないとおかしいし、ちょっと違うかなと思ったので。それにしても30話表紙はよく見るとカーテンが2枚あったり、足元から見れば額縁の向こうにいる燈子が上半身はこちら側に迫り出していたり、生徒会劇と現実とが二重写しになっている物語を的確に表したものだと思う。


7巻
35話『一人と一人』
侑(カラー) 侑(登校)
36話『いつかの明日』
沙弥香(話し合い) 都(さあ乗って) 
幕間『答え合せ中』
理子(ばか) 理子(試してみてもいい) 都の手
37話『灯す』
燈子(私好みの造形) 
38話『針路』
手を繋ぐ侑と燈子(イメージ) 燈子(昨日の返事 するね) 手を繋ぐ燈子と沙弥香(イメージ) 沙弥香(後ろ姿)
39話『光の中にいる』
侑(バッティングセンター) 侑(思い出の場所を巡る) 燈子(遠見駅到着)

 35話カラーページの侑も、23話燈子と共通した用法「キャラクターの思考強調はみだし」と思われる。続いてのモノクロページでもはみだすことにより、侑が登校中のあいだもずっと失敗してしまった告白に囚われているという、「時間の経過」と「思考に没頭している様」の二重の意味が込められている。
 36話、幕間と続けて「今回の主役はみだし」が使われている。理子先生は今回が初のはみだし。37話の燈子はわかりやすく「沙弥香から見られている」姿。沙弥香って本当に燈子のこと好きなんだな……。
 38話の手を繋ぐ燈侑、手を繋ぐ燈沙のイメージが対比されてるの今回始めて気がついたので、わたしはまだまだ読み込みが足りない。そしてこのふたつはどうしてはみだしているんだろう……。燈侑はなんとなくわかる。つがいの鴨を見た途端、燈子の脳裏に在りし日の自分たちの姿がフラッシュバックしたんだろう。それくらいの強度をもって沙弥香といる自分を考えたということなんだろうか。
 その後の沙弥香の後ろ姿も難しい。このときの沙弥香は、きっと今までの自分が燈子のためにしてきたこと、しなかったこと、できなかったことを考えている。後ろ姿を見る読者は、沙弥香の内面と表情を想像する。そう考えると、ここも思考強調の用法と考えていいのかもしれない。
 39話、バッティングセンターの侑は槙くんに「見られている」はみだし。自販機や踏切など、燈子との思い出の場所をめぐる侑はやはり「時間の経過」「思考」の二重構造。そして最後の燈子は、侑が、そして読者がまだかまだかと待ち望んでいた姿だ。お出ましはみだしとでも呼べばいいのだろうか。いやダサいな。「待ち望まれた人の登場」にしよう。


8巻
40話『わたしの好きな人』
侑(わたしは七海先輩を) 侑(背が低いところも) 侑(選んできました) 
41話『海図は白紙』
侑・燈子(手つなぎ) 
42話『記述問題』
燈子(ボウリング) 沙弥香(……っ) 侑(走る)
43話『続・記述問題』
侑(劇場ホール) 燈子(ステージ)
44話『夜と朝』
なし
45話『船路』
侑(今出るとこー) 沙弥香(久しぶりね) 侑(出迎え) 燈子(出迎えられ)

 41話の手つなぎはみだしは3巻13話の相合い傘を彷彿とさせる描き方。あのころからの関係とどれだけ変わったかを思ってついぼんやりしてしまう。このシーンも分かれ道につくまでの間ずっとあのエモエモしい手のつなぎ方をしてきたんだとわかるし、42話の侑のはみだしもアクションに加えて時間の経過も入ってるっぽいので家からずっと走ってきたんだなということが一目瞭然だ。侑がこんなに恋愛の楽しいところを謳歌できる日が来るなんてなあ……!世界は平和。同じく42話のボウリングシーンは斜めにコマ割りされていることにより、ピンが弾け飛ぶ様子や燈子のアクションが強調されている。
 43話のステージに立つ燈子は、「待ち望まれた人の登場」である。姿を現すだけでそこにいる全員の耳目を集めるスター性を感じさせる。
 45話は3年後のエピソードなので、侑、燈子、沙弥香の3人の新しい姿初登場シーンではみだしが使われる。巧みなのはその使い方だ。侑と沙弥香が先にお披露目されれば、読者は「燈子はまだかな」という気持ちになる。作中では侑が燈子の到来を知り、心待ちにする様子が描かれる。読者と侑の気持ちがシンクロする作りになっているのだ。そして待ち望まれた燈子の姿が大きく描かれる手法は、言うまでもなく43話のステージに立つ燈子のときと同じだ。前ページの侑と合わせて、二人がお揃いの指輪をしている様子がさりげなく描かれているのが心憎い。

集計
燈子 40回
侑 35回
沙弥香 16回
都 5回
槙 4回
菜月 3回
堂島 2回
久瀬 1回
立候補用紙 1回
朱里 1回
芹澤 1回
千枝 1回
市ヶ谷 1回
カーテン 1回
理子 1回

 生徒会劇の少女だけで8回もはみだしていたこともあり、1位は燈子の40回。おめでとうございます!3位までは納得の面子だけど、4位に都さんが来るのが面白い。実はこの調査をしてみようと思ったのも、なんだか都さんと菜月ってよくコマからはみだしてないか?と思ったからなのだった。全体で見れば登場頻度はそれほどでもないけど、出てくる時には重要な役割を果たす人だったからよくはみだしていたということなのだろうか。
 それから意外や意外、重要な登場人物の割に一度もはみ出さなかったのがこよみ。25話で1回くらいはみだしてるだろうと思ったんだけどな。こよみ先生は控えめなのか。

まとめ
 では、『やがて君になる』において、キャラクターがコマからはみ出すときにはどんな意味が込められているか、わかったことをまとめよう。

  • 初登場のキャラクターを印象づけたい場合
  • 1p目に置くことで、その回の主役を表す
  • 話中での視点キャラの交替
  • アクションシーンの躍動感を出す効果
  • 登場までに間が空いたが、重要なキャラである
  • 誰かから見られている、観察の対象になっているという描写
  • 複数のコマをバックに描かれることにより、時間の経過や行為の継続を表す
  • 事物が後ろに描かれることにより、それに対するはみだした人物の感情や思考にフォーカスする効果
  • 待ち望まれていた人物の登場

 同じ手法でも、たくさんの異なる効果があって面白い。個人的には「見られている」効果があるというのは大きな発見だった。


 『やが君』は読者に理解力が求められる作品だと思うが、決して読みにくい漫画ではない。むしろ漫画としての読みやすさ、情報をいかにわかりやすく伝えられるかに腐心されていると思う。はじめの3話を見るだけでも、主要な登場人物が何という名前でどういう性格で、人間関係がどうなっているのかを読者がスムーズに受け入れられるように工夫が凝らされているのがわかる(必ず名前や肩書で呼ばれるシーンがある、など)。
 今回ははみだしに限って見ていったが、それ以上にコマ割やカメラの位置、背景に映り込む小物、オノマトペの書き方など、ページ上には無数の作者の意図が込められていて、もっと細かく見ていけばまた新しい発見があるだろう。


 このコラムが『やがて君になる』を読む人の面白さを発見する一助になれば幸いです。

やがて君になる Advent Calendar 2020」 、自分一人では思いつかない視点で様々な人が『やがて君になる』を読んでいるのがわかるので、ぜひ他の方の記事も読んでみてください。

adventar.org

どこにでも行ける 『やがて君になる』41話-44話について

※この記事は『やがて君になる』44話(2019年8月27日発売10月号掲載分・単行本未収録)までのネタバレ内容を含んでいます。未読の方はご注意ください。
 
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第40話『わたしの好きな人』において、通常の恋愛マンガであればここが最終回でも納得できるほどの話の区切りを見せた『やがて君になる』。残りの5話で何が描かれるのかまったく未知の状態で始まった、新しい関係の「燈子と侑の物語」は、振り返ってみれば確かにこれしかないと唸る内容だった。

 

燈子の成熟
41話『海図は白紙』からの侑は、自分と燈子の関係性を定義したがっていた。
「その…… か 彼女なんですし」「こういうのって恋人っぽくないですか?」
もともと少女漫画やラブソングに憧れを持つ子であり、そういうロールモデルに当てはまらない自分に寂しさを覚えていた侑。特別が手に入った今、「彼女」「恋人」という席に収まること、役割を与えられることに対しても憧れがあったのだろう。
一方の燈子は「彼女」という言葉に反応が鈍い。
「あんまり考えたことなかった」「そう なのかな?」
この何にも考えていなさそうな反応と、侑いわく「こっちからいくと弱い」はずの燈子がやけに落ち着いた様子なのを見て当時の読者は少しだけ不穏さを感じたものだった。
あんなかわいい照れ侑をみて微笑むだけで「帰ろっか」って! かつてのあんたはそんな人ではなかったはずだ。
 
それに対する燈子の考えは、44話『夜と朝』で明かされる。
曰く、自分と侑の間柄を「恋人」「付き合ってる」という言葉で括れる気がしない。今感じている「特別」はやがて「当たり前」になっていくかもしれない。そんな風に変化していく二人の関係性を既存の名称で括らなくても、「侑と私」でいいんじゃないか。
 
1巻1話「君はそのままでいいんだよ」
1巻3話「私のことも好きにならない それでいいの」
2巻10話「君はそのままでいてね」
6巻34話「侑は 変わっちゃったんだ……」
 
「特別がわからない」侑のまま変わらないでいることを求め、自分も姉に成り代わること以外の変化を決してしようとしなかった燈子の口から、二人ともが変わっていくことへの肯定と、そのことへの希望が語られる。舞台「やがて君になる」で燈子が終盤に言っていた、原作にはないある重要なセリフを思い出してしまう。(10月末にBDが出るよ)
それは燈子自身が、44話をかけて確実に変化し、成熟したしるしだ。
澪の写真を見た侑から間接的に「顔立ちは似ていない」と言われた燈子の返答も、何の底意もなくそれを肯定するものだった。
"Bloom Into You" 『やがて君になる』の英語版タイトル、直訳すれば「成熟して君になる」。
本編で語られるべき「燈子の物語」はここに完結したと言える。
 
 
特別が日常へ
この会話によって読者に向かって提示されるのはそれだけではない。
やがて君になる』は、侑と燈子が「特別」を追い求める話だった。 
小糸のこと特別だって思うから
小糸と特別な関係になりたいんだ
侑に告白した同級生男子のセリフで初出したこのキーワードは、様々な意味をはらみながら物語中に頻出する。
それはセリフやモノローグだけでなく、星や光というモチーフではじめから終わりまで印象的に描かれる。
二人がそれをついに手に入れたことは、43話『続・記述問題』の表紙でも表現されていた。

 
家で二人で過ごすこと。並んで料理をすること。42話『記述問題』で侑が考えていた、「キスするよりデートするより もっと当たり前じゃないこと」。
今はどれもこれも特別な体験に思えるそれらは、年月を経ればやがて二人の当たり前になっていく。
特別が日常になるほど、二人はそばにいる。
 
燈子の言葉は、輝く世界に出ていこうとする燈子の将来を考えて漠然とした不安を抱いていた侑を安心させるものだった。
「今」だけではない、そういう二人の未来が示唆されたことで、読者も仲谷先生の言うように「侑と燈子は大丈夫だね」と思える描写だった。
 

仲谷:恋愛って付き合い始めたところがゴールじゃありません。何をもって終わりにするかは難しいんですが、「これで侑と燈子はもう大丈夫だね」って安心してもらえる終わり方にするつもりです。二人の物語で、「見るべきところまでちゃんと見れた」と安心して終われるような最終8巻にしたいです。ちゃんとやれるかな? やりますのでよろしくお願いします!

 
You & I
燈子は、二人の関係性に名前をつけたくないと言った。
間柄に「彼女」「恋人」などの名前がつけられるということは、役割や立ち位置が決定づけられるということでもあると思う。
コンロの前に立ってミートソースを作っている侑に対して、サラダを作り、茹で上がったパスタ鍋を取りに行ってシンクで湯切りする燈子の立ち位置は何度も変わる。
そんな風に図示されることで、読者は燈子の言わんとしていることが分かりやすく理解できる。
今ですら既存の言葉で表しきれない「侑と私」の関係は、年を積み重ねることで更に変わっていくだろう。
ラベリングされない「君と私」でいたい。それはよくばりな燈子の燈子らしさであり、誰もが既存の価値観や役割に縛られる必要はないという仲谷先生からのメッセージにも思える。
更に深読み書店すれば、侑と燈子の関係性は、どちらかがどちらかを導くようなものではないということかもしれない。あるときは侑が燈子の手を引く。あるときは燈子が侑の背中を押す。今回は侑がTopで燈子がBottomとして描かれていたけれど、それも固定されるものではない。そんな風に読んだ。
 
燈子先輩の言うかっこいいっぽいことから読み取ったことまとめ
  • 燈子自身の成熟
  • 特別が当たり前になるほどの二人の未来
  • 君と私がいればいい 役割にこだわらなくていい
 
先輩のばーか
「君と私」の関係を言葉で括りたくないと言う燈子だが、燈子自身、言葉(役割)に縛られていたことがこの回でわかる。
落ち着け… これからの私は先輩らしく ね?
42話のこの発言の通り、燈子は年上らしく、侑が頼れる相手になりたいがために、今までのように好き勝手に侑に気持ちをぶつけるのを我慢していたという。これまで自分が侑を困らせてばかりだったこと、助けてもらってばかりだったことを省みて先輩らしく振る舞おうとしていた。
それを知れば、41話でのやけに落ち着いた燈子の様子も納得がいく。いい雰囲気になりかけた時に、話を打ち切って「やるべきこと」に移ろうとするのは「帰ろっか」も今回の「よし 晩ごはんの買い出し行っちゃおうか」も同じだ。
二人で見る映画にホラーを選んだのも、頼れる先輩アピールの一環だった。だから自分の方が怖がっていることがわかっても、ただいちゃつくために抱きついたりはしなかった。
 
そんな燈子の気負いを解放するのは、やはり侑だ。
先輩のばーか
4巻22話、燈子の考えを否定しはじめる侑の印象的な独白の反復と共に、侑は燈子の壁をまた一つ取り除く。
年上らしくなんていらない。お返しなんて考えなくていい。我慢しなくていい。これまでもずっと、折にふれ手に取ってきた燈子の髪の毛をついに口元に持っていきながら、侑は侑自身の欲をも、その言葉で解放する。
 
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興奮してきましたか?わたしはしてきました。
このあたりでかわいい侑と燈子をどうぞ。

 

この表紙と告知絵からあの内容を予期できた人っているの?
 
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峠のてっぺんに登る前に
少し時間を戻して42話と43話の話をしたい。富士登山において八合目で一泊するのがいいように。高山病の予防にもなるし。
このブログ、原作に関しての記事は40話までで止まってたんですよね。生徒総会に行きます楽しみって締めくくってた。
生徒総会、心底楽しかった。朗読劇は笑って泣いてグッときた。高田さん&寿さんの生hectopascalは忘れられない。メンダコストラップは売り切れで買えなかった。
 
42話でいちばん胸を打たれたのは、燈子が賭けの賞品として勝っていればキスしてって頼んでた、と言ったことに対して侑が「それは勝者の権利を使わなくても普通にできるのでは」と返したことだ。
燈子がキスやデートをなにか理由がなければできないものだと考えているあたりに、お付き合いすることに不慣れな感じが出ていて微笑ましい。だがこの描写でわかることはそれだけではない。
 
上で書いたように『やがて君になる』は、特別がわからない侑が、燈子からの特別を与えられることがきっかけで自らの特別を選び取るまでの話だった。
特別がわからない侑に燈子がそれを教える。「特別なふたりの普通」がよくわからない燈子に、今度は侑がそれを教える。
互いを補い合う二人。一人ではたどり着けない星も二人ならつかむことができる。
 
続く43話でも「特別」に関する描写はある。市民劇団の舞台に立ってライトを浴び、短い出番の中でも見る人を惹きつける存在感を放つ燈子を、暗い座席から見守る侑は少しの不安に駆られる。
「きっとこの先も たくさんの人が七海先輩を見つける」
しかし、燈子は侑を見つけて破顔する。たくさんの人にとっての特別になるかもしれない燈子がたくさんの中から見つける特別は侑なのだ。
 
頂の景色、侑の成熟
侑がドアをノックし、燈子が招き入れる描写は、今まで侑がずっと閉ざされた燈子のドアを叩き続けてきたのがついに実を結んだことの象徴だろうか。
侑がかつてふれたくてふれられなかった燈子の熱。手のひらの直下には燈子の心臓がある。そこで感じる速すぎる心臓の音は今度こそ本当に燈子のものであり、同時に侑のものでもある。
「好きです」「うれしい」
4話前になされた会話の反復のようなこのやりとり。侑が好きだという気持ちを伝える側で、燈子がそれを受け容れる側だ。「好きだという気持ちを伝える」「自分への好きを受け容れる」それぞれがずっとしたかったこと、できなかったことを言葉だけでなく行動で示すかのように、TopとBottomとして描かれる侑と燈子がいる。
 
肌を合わせるという行為そのものは、やがて二人にとって当たり前のものになっていくかもしれない。しかしそれが意味するものは特別なもののままだろうと、わたしは思う。
一方がもう片方に覆いかぶさり、唇をくっつけたまましゃべる構図は4巻22話『気が付けば息もできない』で出てきたものだ。
侑は私のこと好きにならないでね?
逆に燈子の上に乗り、キスしたまま侑が発するアンサーは、その時は到底言えなかった侑の本心であり、自分で選び取った意思の言葉だ。
偶然ふれたその指を今、握ったんだ
 アニメ版オープニングテーマ『君にふれて』の歌詞を、40話の「自分で選んで手を伸ばすものだったよ」や、44話の「これからも自分で選べるよ」のシーンに重ねて読んでみてほしい。
侑もまた物語を通じて成熟し、自分で自分の欲しいものやなりたい未来を選べる人間になった。
 
「彼女」「恋人」という役割を表す言葉はなにもレッテルを貼るだけのものではなくて、そういう席を相手の中に確保しておけるという安心感をもたらす言葉でもある。
そして定義のされない「侑と私」は、かっちりとした枠組みがない分、二人の意志が強固でないと継続が難しいものだとも思う。
しかし侑は言った。わたしの『好き』は願いの言葉で、意思の言葉だと。
少し優柔不断なところがあり、人に言われたからそうするという選択をしがちだった侑が、自らの意思で選び取った相手であれば。
変わっていく「侑と私」をポジティブに考えられるほどの自分を持った燈子であれば。
燈子と侑の二人はもう大丈夫だねって、読者は本当に思うのだ。
 
どこにでも行ける
朝を迎えた二人を照らすのはカーテン越しの柔らかい光だ。
侑が燈子に問いかける言葉は、おそらく5巻23話『終着駅まで』で姉を演じることへの行き詰まりを感じていた燈子のモノローグ

そうしたら私は どこに行ける……?

に呼応するものなんだろう。
どこに行くにも二人の自由だ。どんな行き先を選ぶのも、二人の意思次第だ。
 
---
 
次回、ついに最終回。
読み終わったあとに自分がどんな気持ちになるのか、まったく想像がつかない。

20190818ディズニー・ダイニング・ウィズ・ザ・センス~ディズニー映画『アナと雪の女王』より~

@ディズニーランドホテル、シンデレラドリーム(大宴会場)

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目隠しをした状態でコース料理を食べつつ映画の世界を楽しむという珍しい催し。2月の初演は逃したので今回再演に参加できて本当に良かった。
結論から言うと、アナとエルサの姉妹の繋がりが好きな方々は全員行った方が良い。再々演があったら逃さず行くべき。


!!注意!!
この記事には表題のプログラムについての詳細なネタバレが含まれます。
また、参加から数日経ってからのレポなので記憶違いや順番の混同がある場合があります。

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手を引かれてアレンデールへ

チケチェックの後に小部屋で同意書にサイン、ほどなくしてプレショー。
マジカルシェフを名乗る仮面イケボシェフが世界観の導入の説明をしてくれる。魔法のクロッシュ(銀色のドームカバー)の力で魔法の世界に連れて行ってくれるらしい。
会場に移動する前にマジカルシェフと記念撮影ができますよという流れでキャストのお姉さんが朗々とした声で「興味のない方はお先にこちらへどうぞ!」でひと笑い取ってくるのずるい。


会場入り前にアイマスク装着、それぞれ腕を引いてテーブルまで案内してもらう。用意ができたら最重要アイテムおしぼりの位置とグラスの位置を確認。
何も見えていない状態で周りの状態を想像するのは未体験で楽しい。隣に座った見知らぬ人たちともマジカルシェフの計らいで挨拶をする。


準備が整えばまずは小手調べ。いつの間にかテーブルに現れたお皿の中身を手づかみで食べる。視覚が遮られている分、形状や味、歯ざわりなどで自分が何を食べているかを考えるのが新鮮な体験だ。
そしてアレンデールの夏の訪れを祝うパーティが始まる。


今回の舞台は、夏の訪れをお祝いするパーティーが開かれているアレンデール王国。ゲストの皆さまには、そこで振舞われた料理をお楽しみいただきます。


公式のこの文言、始めるまであまり深く考えなかったんですよね。アレンデールの晩餐会に招待されてるとか冗談で考えてたけど、席についてマジカルシェフの声だけの説明を聞いてるうちに思ったんです。
これ、姉妹やオラフが自分の周りで話したり歌ったりするんじゃないか?


果たして全くその通り。この催しのためにアナが、エルサが、オラフがクリストフがハンスが、ストーリー仕立てでしゃべるしゃべる。
酔ってたのでアナがしゃべる度に「かわいい」「かわいい」言いすぎてアナかわいいbotがいると言われたのはわたしだ。
スヴェンが自己紹介する時に顔に鼻息がかかったのにはびっくりして椅子から飛び上がった。周りでも悲鳴が次々上がっていた様子を聞くに、スヴェンは同時多発的トナカイだったらしい。


「皆さんが幸せそうなのを見るのがわたしは嬉しいです」
「あたしはエルサが幸せそうなのも嬉しいけど」


という姉妹のやりとりをぶっこまれながら(はあん?)コース料理は続く。
登場人物やマジカルシェフの会話のやり取り→劇中歌が流れる→魔法でサーブされた料理を味わうという流れの繰り返しなんだけど、本当にお皿はいつの間にかテーブルに出現しているし、食べ終えた皿はいつの間にか無くなってしまうし、ドリンクは知らぬ間に別の味に変わっていているしで単純なことなんだけど、それが本当に魔法のようだった。


ハンスが出てきてマジカルシェフとやりとりするのは意外だった。「アナへの僕の気持ちは、変わっていないさ」とかいうどの口が抜かす的な台詞があって驚いた。記憶を失ったかのような理想の王子様的振る舞い。突然のハン→アナに動揺が走る。ハンスの新録セリフはディズニーランドのイベント「アナとエルサのフローズンファンタジー」以来?Frozen2にはハンスは出て来ない可能性が高いから、ハンスファンには貴重な機会だったかもしれない。


見えない分料理の具材は想像するしかないんだけど、北欧料理という前知識と舌が貧弱なせいで魚はなんでもかんでもサーモンに思える。同じテーブルの人たちと「ホタテがいる」「います?」「いたいた」「私のとこいないんだけど」みたいな会話をするのも楽しい。


3つのパンと棒状のものでオラフを作ろうのコーナー。立体福笑いみたいな感じで髪の毛と手と鼻を刺していくんだけど童心に帰るってこのことかな……。子どもの頃粘土遊びや工作をしてた気持ちを思い出した。もし周りの人から見られた状態で作ってたらあんなにのびのび作れなかった気がする。出来上がりが見られないことだけが残念。


パーティの途中ではしゃいだオラフが魔法のクロッシュをひっくり返したために、過去のアレンデールに連れていかれる我ら。本編のたくさんのセリフの断片が聞こえる中、アナの「あたしが何をしたって言うの?!」の言葉に胸が痛い。どうやらエルサが城を飛び出したシーンに連れていかれたらしい。
Let it Goのイントロが流れる中、足元から冷気が忍び寄る。いつの間にか凍りついているおしぼりに会場からどよめきがあがる。肌寒い風の中、マジカルシェフが提供してくれたスープの暖かさが体に優しい。まずは器を持ち上げて飲んでください、と言われてスープを飲みきった後に、「それだけではないんです」と言われて器をスプーンで探ると、茶碗蒸し?のようなプルプルの食感の、あたたかく柔らかい海鮮の入った蒸し料理がそこにある。見えないことを武器に料理をエンタメとして提供してくれるその姿勢に驚きは続く。


サーブされるデザート皿も凍りついている(それはそれで美味しい)。エルサが真実の愛の行いを理解して氷を溶かす術を知ったように、「あなたの大切な人を思い浮かべてください、皆さんのその想いが夏のアレンデールに戻る力になります」とマジカルシェフの言葉に促されて、会場全体が思い思いに大事な人を思い浮かべる。雪どけのナーナーナヘイヤーナが流れると同時に、体の前面がじわじわと温かくなる。一人一人の目の前に夏の太陽が輝いているようで、アイマスクの端にかすかに光が見える。ようやく夏のアレンデールに戻ってこられた頃には、デザートにも雪解けが訪れている。変化した食感を楽しんで、全11品の料理は終了。


その後アレンデールの面々からの来てくれてありがとう的な別れの挨拶があるんだけど、その締めくくりが


「大好きよ、アナ」
「あたしも!」


という姉妹の会話だったことを記しておきます。


ねえ!!!!
音声だけ売ってください!!!!!


答え合わせと引き出物

またひとりひとりアレンデールから現実のディズニーホテルに連れられた後、別室で先ほど食べた料理を見て答え合わせすることができる。
想像通りの料理だったり、陶器だと思っていた食器がガラスだったり様々だったけど、一番違っていたのはコース全般が思った以上にカラフルだったこと。食べながら「見えないから彩りとか考えなくていいんじゃないか」とか言ってたことを反省した。


最後にオラフのシルエットが刻印されたグラスのおみやげをいただいて終了。
価格設定がお高めなこともあって少し悩んだけど、参加できて本当に良かった。
サラダとドレッシングをパイ生地の上に乗せて崩しながら食べる料理が楽しかったり、食べてみるまでそれがパスタだとはわからなくて一気に口の中に入ってきて笑ってしまったり、しょっぱめのデミグラスソースのかけられた肉料理の中にあったなんらかの野菜の甘みが心底美味しかったり(食べ終わってもなんだかわからなかったけど多分桃だろうとのこと)、確かにそのままコースを食べるよりも頭と舌をフル回転させることになるので、心地よい満腹感と疲労で大変満足しました。ホテルのキャストさんたちもみんなプロでした。彼らの力がなければ魔法はすぐに解けていたに違いない。


何より新鮮な姉妹の姉妹らしさを浴びることができて幸せだった。行けてよかった。ありがとうディズニーホテル、ありがとうマジックシェフ。


アナ「ありがとうマジックシェフ!」
シェフ「『マジカル』シェフです」
アナ「あっ……ごめんなさい」


こういうやりとりもあって可愛かったです。
再々演待ってます。
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小糸侑の現在!七海先輩との関係は?赤面率って?

‪『やがて君になる』主人公の小糸侑さん、誰のことも好きにならないですよね!‬


‪実はそんな小糸さん、最新43話でとっても‬赤面してるという噂があるそうです!

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本当なのか、気になりますよね?


早速調査してみました!

 

(この記事は2019年7月発売電撃大王9月号掲載『やがて君になる』43話までのネタバレを含みます)

 

 

第43話において、表情が見える姿で小糸さんが描かれているのは62回

そのうち、頬に斜線が入って赤面しているのは30回。

実に48%の割合で赤面しています!

 

そんなに高くないなと思ったそこのあなた!

以下のパーセンテージを見てください!

 

61%

 

七海先輩のことを考えている、七海先輩を見ている、七海先輩と会話やメッセージのやりとりをしている小糸さんのみ抽出した姿、49回から割り出した赤面率です!

これは相当多いと言えるのではないでしょうか?

 

人を好きになると、そんな風になっちゃうんですか?

ここで小糸さんの赤面率の変化を、第39話から振り返ってみましょう!

 

話数、赤面回数/登場回数、赤面率の順で並べています。

 

39話 2回/53回 3%

40話 9回/52回 17%

41話 30回/65回 46%

42話 22回/68回 32%

43話 30回/62回 48%

 

これはすごい!

 

なお、39話の貴重な2回は心臓の位置がわかったあと、40話は全て見開きページ以降ということを付け加えておきます♪

 

 

まとめ

いかがでしたか?

今回は小糸侑さんの赤面率を見ていきました。
39話までとは別のマンガのように赤面率が上がっていますし、次回の44話ではやが君最大の峠が待ち受けているという噂もあります。

まさかの80%超えに我々は立ち会ってしまうのか、今後に期待大ですね!


最後までお読みいただきありがとうございました♪

やがて君になる(7) (電撃コミックスNEXT)

やがて君になる(7) (電撃コミックスNEXT)

 

 

自分で決める、小糸侑の「好き」

※この記事は『やがて君になる』40話(2019年4月27日発売6月号掲載分・単行本未収録)までの内容を含んでいます。未読の方はご注意ください。

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選択するということ

前回の原作に関する記事を、わたしはこう締めくくった。

lacqueredboxes.hatenablog.com

小糸侑が、選ぶ時が来る。

しかしこれは間違いだった。侑が選ぶときは40話ではなかった。優柔不断だった侑が、いままで何度も何度も自分が燈子を「選んできた」という気づきが、この話では語られている。

「選ぶ」という行為は、38話では燈子が意識的にしたことだった。その行為が見守り続けてくれた親友を深く傷つけることを理解した上で、彼女はその選択をした。燈子にとっては、そのくらい選ぶことは重大なことであった。

 

身長、髪質、大胆さと慎重さ。多くの点で対照的に描かれている燈子と侑は、選択という点においてもまったく異なる描き方をされる。

選ぶということが

昔から

苦手だった

たくさんの扉=選択肢が並ぶ真っ白な空間で、侑ははじめ、真上からの光に照らされて立っている。扉のどれかから大きな何かが訪れるのを待っている。自分から動いてどこかの扉に入ってみることもない。光の射してくる方向が変わり、彼女はそれに向かって全速力で走っていく。やってきた側が暗くなるほどの強い光に導かれながら侑はここで自分が、いくつもの分かれ道で燈子へ向かう道を選び続けてきたことを自覚する。

そしてカラーページとともに侑の内面世界は終わり、39話の河原から走り続けてきた現実世界の侑が、生徒会室の引き戸を開ける

侑が息急き切って生徒会室の引き戸を開けるのは、実は1話のリフレインだ。扉を開けることが選ぶことの象徴なのであれば、侑は一番初めから燈子を選んできたということになる。

 

どうしてわたしが特別だとわかるのか、と聞かれた時の燈子の「特別」の理由は、まったく論理的なものではない。自分が「特別な人」に対してどういう反応を示すかを並べた、侑が言うところの「わけのわからない」ものだ。

ここまで読んできて思うのは、燈子は「好き」なものに関しては自分の感情に素直に動く人間なんだということだ。

ほぼ初対面の下級生を呼び捨てにする、この人が好きだと思ったら往来でキスをする。姉になるためには絶対に失敗することの許されない生徒会選挙で、優秀かどうかもわからない侑を応援責任者にする。「こうしたい」と思ったら即そうする。もっともらしい理由や理屈をつけるのはその後だ。頭がよいからその行動と理由に齟齬は見えない。そこに言い訳めいた色を感じ取れるのはずっと隣にいる沙弥香くらいのものだ。

 

燈子が感情先行型の一方、侑は基本的に理性の人だ。頭でっかちと言い換えてもいい。悩みすぎて自分では決められず、何かを始めるには「誰かにそう言われたから」という受け身な姿勢で臨むことも多いことが描かれている(中学の部活や生徒会の手助け、燈子と一緒にいることなど)。きっと動き出すには、自分の頭で納得できる明確な「理由」が欲しい子なのだと思う。

そんな侑が燈子を選んできたシーンは、侑の感情が思考を追い越した場面と、侑が燈子の意思に反してでも燈子のためを思い、独自に考えて動く場面だった。

1巻5話、生徒会選挙応援演説中、燈子のことをずっと考えていた侑は、「役員になりたい」「七海先輩の助けになりたい」と勢いで宣言する。

2巻10話、誰かを好きになりたいと思っていたはずの侑は、燈子と一緒にいられなくなることを恐れて「先輩のこと好きにならない」と約束をする。

4巻22話「変えようよ」、5巻28話「先輩しか知らない」については説明不要だと思う。そしてこの全てが各巻の最後の話だということに着目したい。

3巻最後の16話については、40話の「選んできた」一覧には出てこない。だがこの話は、侑の心臓が燈子を選んだ話だった。

本人の理性が認めたがらないだけで、侑の感情は既に燈子を選んでいた。だからこそ4巻5巻のエピソードは、もはや「感情が燈子を選ぶ」話ではなかったのだろう。

1人の人間を変えようとするなんて確かに傲慢で、並大抵の覚悟でできることではない。反発されたならなおさらだ。

それでも侑は踏み込んだ。燈子に、燈子自身のことを認めてあげてほしいから。それが相手を特別に思う気持ちでなくてなんだと言うのだろう。

侑は、過去の自分が「どう思ったか」ではなく、燈子によって「どう動いてきたか」を思い返し、そこに燈子が特別だと決めるに足る「理由」を見つけた。ようやく頭で納得のできる答えを見つけた彼女は、自分の意志で燈子の手を取る。

 

自分で決めるから

私がどうするかは

私が自分で決めるから

7巻幕間「答えあわせ中」で、大学在学中の理子先生が身を引こうとする都さんに言う言葉だ。

はじめに読んだ時は、理子先生は意志の強い人だなくらいにしか思っていなかったけれど、40話を読んだ今、この作品を初めから見渡してみて思う。『やがて君になる』は、「自分で決める」物語なのではないか。

沙弥香は燈子の隣に立ち続けることを決めた。こよみは憧れの錬磨先生に会い、将来の夢を定義しなおした。燈子自身の入れ子構造のような劇中劇の主人公は、なりたい自分を自分で決めた。

この物語の一番大きなテーマである「人を好きになるとはどういうことなのか」という問への主人公の出した解は、「自分で選んで手を伸ばすもの」だった。

 

8巻完結が予告されていて、「やがて君になる」は残すところあと4話か5話だ。

話の区切り的には40話で終わってもおかしくないほどの内容だった。 今後何が描かれるのかはわからないけれど、人は恋だけで生きていくわけではないので、わたしは侑と燈子それぞれの、自立した大人になっていく通過点としての「自分で決める」が描かれればいいと思う。侑に関しては2巻8話「選択問題」で自分のやりたいことを決めているこよみを羨むような描写もあったので、ここのバトンを受けとるという意味でも、将来に繋がる選択が描かれればとても綺麗な終わりになりそうだ。

 

終わり……終わるのか……終わらないでくれ……。でも綺麗に終わってくれ……。

 

---

・本文には入れられなかったけど、侑の感情が思考を追い越した場面は他にもある。1巻3話「なんで構わないなんて言っちゃったんだろう」、3巻13話「嬉しかった」。

・「選択問題」って超重要タイトルだったんだな。侑が初めて自分の意志で燈子を選ぶ話だった。

---

41話までになんとか間に合った……。41話こんなんだから読んでしまったら考えてたこと全部吹き飛ぶ予感しかない。

 

そしてその前に遠見東高校生徒総会に行ってきます。楽しみすぎて眠れない。

ラジオCDとメンダコストラップだけはぜひ欲しいので売り切れてませんように。

月刊コミック 電撃大王 2019年7月号

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やがて君になる(7) (電撃コミックスNEXT)

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劇の中で起きたこと 得たもの - 舞台『やがて君になる』 感想2

前回の記事の後、舞台『やがて君になる』を2回鑑賞した(5月8日昼公演15列上手端、5月12日千穐楽13列下手側)。

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何度か見るうちに気づいた、舞台ならではの面白いポイントがあったので書いておきたいのと、前回の記事を書いた時とは異なる視点でこの舞台を見られるようになったことを残しておきたい。

 

舞台の上下(かみしも)、上下(うえした)

侑、燈子、沙弥香の3人の立ち位置で三角形が表現されていることは前回の記事でも書いた。沙弥香は燈子が急に接近した侑を訝しみ(沙弥香と侑にスポットライト)、侑はこよみに燈子の人物像を答えられずに口ごもり(侑と燈子にスポット)、燈子は沙弥香を自分に踏み込まない人物だと評する(燈子と沙弥香にスポット)。

最後に「言えないことが増えてくなあ」で全員にスポットが当たるので、原作では侑と燈子(と、みやりこの2人)に掛かっていた『秘密のたくさん』というサブタイトルが、「燈子を好きな気持ちを隠し続ける沙弥香」にも掛かっているという解釈が面白い。

 

ここで注目すべきは3人の立っている場所で、燈子が舞台中央よりの一番高い場所、沙弥香が上手側(向かって右側)の燈子の次に高い位置、侑が下手側(向かって左側)の一番低い位置(舞台上の段差でいうと下から2番目)だ。

第42回 歌舞伎彩歌 ちょっと幕間「立ち位置からひもとく人物の力関係」 | 衛星劇場

リンク先の解説にあるように、舞台は人物の配置で立場の差や力関係の強弱を表す。この時点では燈子がこの3人の中でもっとも影響力があり、状況をコントロールしていることが示されている。

そして、この3人の三角形は舞台後半でもう一度形作られる。

改変後の劇の練習シーンがそれだ。しかしその頂点は変化している。沙弥香の位置は変わらず、姉と似ていないと言われた上に脚本の改変で追いつめられた燈子は下手側最下段(前回の侑の立ち位置より更に下)に位置し、侑は舞台ど真ん中の高い場所。沙弥香も燈子も見下ろす形だ。結末の改変という大胆な行動を起こした侑が、今この3人の関係で一番力を持っているということが一目で分かる位置どりだった。

少し余談だけど「燈子を変えたいという願いを伝えるのが、どうして私じゃなかった」と歯噛みする沙弥香と、それまで客席に背を向けていた侑が振り向いて顔を見合わせるところがグッときた。

侑がいつから背を向けてたのかはわからなかったけど、燈子にとって侑がわからなくなってしまったことの表現だろうか。

 

位置取りで初めに印象深かったのはオープニングの燈子の登場シーン。前にも書いたが、舞台中央中段に登場した侑が、周りの人たちと挨拶をしながら中央最下段に降りたところで、最上段に燈子が登場。「何を隠しているんだろう」の歌詞に合わせて舞台上の全員が燈子を見上げることで、これは侑が周りの協力を得ながら七海燈子という謎を解いていく話なんだという印象が強く残る。

ちょっと記憶が定かではないけど、侑が舞台を縦横に駆け回っていたのに比べて、燈子は舞台の上方にいることが多かったような気がする。だからこそ劇改変後の燈子が下手最下段という一番「弱い」ポジションに追いやられた姿が印象的だった。

 

上手下手の使い方で面白かったのは相合傘のシークエンス。上手端から下手方向へ移動しながら芝居が進んで行って、中央まで来たところで名前呼びと身長差のやりとり、傘で隠したキス、下手端で「嬉しかった?」のやりとり。

移動するごとに侑と燈子が親密になっていって、侑の心がほぐれていく。凝縮された時間が上手から下手へ流れていくのが目に見えるようだった。その流れに乗るかのように、下手へと並んで歩きながら侑は「嬉しかった」と口にする。途端に燈子は体ごと正反対、上手側に向き直って言う。「嬉しかった?」 それはまるで今までの流れをせき止めるかのような激しい拒絶だった。

 

沙弥香が侑に演説を任せてから燈子の出てくる場所や、演説前の侑と燈子が2人で中央の段を登っていくところ、侑が燈子の姉のことを訊く場面、最後の告白のシーンでも人物配置の面白さは感じられた。こだわって作ってあるのが分かるので細かいところはぜひ秋に出るブルーレイ/DVDで確認してほしい。早く見たい。

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細かい演技の好きなところ

暗転を極力使わない方針だったのもあって登場人物が小道具舞台装置を持ってはける、っていうのをよくやってたんだけど、沙弥香が燈子の姉のことを知ってることが明らかになるシーンで、他の人と一緒に椅子を持ってはける直前だった侑が2人の会話を気にして舞台袖ギリギリで聞き耳を立てて「沙弥香ならいいよ」で思わず、といった風に振り返る。ここの演出と演技がよかった。その後すぐに燈子を部屋に誘うシーンになるのもあって、侑の内心の嫉妬や独占欲っていうドロっとしたものが透けて見えるようなシーンだった。

その他細かいところ

特に最後の都さんの発言についての印象の変化は、わたしにとってとても大きいものだった。原作やアニメより出番が増えて、よりくだけた印象の人物になった都さんだけど、そこも魅力的だった。都さん役の立道さんの演技にそれだけ説得力があったのだと思う。

 

 

いろんなのり物や道すじがある

この舞台の間の無さ、早口すぎる台詞、そういう惜しいところは何度見てもさほどは変わっていない。けれども、そうしなければいけなかった理由はなんだろうと考えた時に、制作陣はこの物語を杜撰に切り落とすことはしたくなかったのではないか、と思い当たった。

全く初演の舞台、想定する客層が演劇慣れしていない人たちで、上演時間が2時間半以上休憩あり、という選択は現実問題としてできなかったのだと思う。

伸ばすことができないのであれば、内容を変えるか詰め込むかの2択になる。もっと変えようと思えばいくらでも変えられたはずだ。キャラクターを減らしたり、ストーリーラインを大胆に改変すれば、約2時間という枠に容易に収められたはず。でも、彼らはそうしなかった。できるだけ原作に寄り添い、限られた時間の中で『やがて君になる』という物語の魅力を損なうことなく、演劇ならではのやり方で表現しようと最善を尽くした結果があの舞台だった。千穐楽まで見た今では、わたしもそう思うようになった。

たとえば、君が大阪へ行くとする。いろんなのり物や道すじがある。

だけど、どれを選んでも、方角さえ正しければ大阪へつけるんだ。

ドラえもん』第1話『未来の国からはるばると』セワシの台詞

原作が各駅停車だとすれば、舞台は新幹線だった。在来線のように曲がりくねった線路でなく、要所だけに停車しながら大阪を一直線に目指してたどり着いた。走るルートは違うとしても、方角は正しく、目的地は同じ場所だった。原作が4年かけて走ってきた距離を2時間で駆け抜けるんだから早足にもなる。そういう風に理解をした。

 

小糸侑のイデア

前回の記事を書いた時、舞台の侑のキャラクターが自分のイメージしていたものと重ならなくて引っかかっていたんだけど、その後に刊行されたスピンオフ小説『佐伯沙弥香について2』を読んで考え方が変わった。

『佐伯沙弥香について』シリーズは全編沙弥香の一人称の小説だ。だからここに出てくる登場人物はみんな、沙弥香の視点でどう見えているか、という姿で描かれている。燈子や愛果、みどりは原作とほぼ相違なく感じられた一方、侑の印象は原作よりもだいぶ幼いものに感じられた。侑が燈子に見せる寛容さや大人っぽさを沙弥香は知らない。だから沙弥香は年下の小糸さんをこういう風に見ているんだと理解した時に、原作の侑もつまりは「侑自身が思う自分」として描かれているんじゃないのかという考えに至った。

7巻のあとがきで描かれていた、仲谷先生の言うやが君イデア界を舞台の製作陣も見ているはずだ。キャラクターが立体的に作ってあればあるほど、どこで見るか、どういう視点で見るかによって見える姿は当然変わってくる。

劇中劇の主人公や燈子の姉の澪が人によって違う顔を見せていたとしても、そのどれかが本物で他が偽物だという話ではない。

 

劇の中で起きたこと 得たもので

主人公は答えを出さなきゃいけない

やがて君になる』23話『終着駅まで』こよみのセリフ

原作で侑に起こること、舞台で侑に起こることは同じようでいて少しずつ違う。おそらく一番違うのは、舞台では沙弥香との交流が描かれなかったことだ。原作の侑は、13話『降り籠める』において、燈子に拒否されることを恐れ、現状の心地よい関係を継続させるために自分の心を隠して燈子との関係を「このままでいい」とする。そして直後の14話『交点』で、燈子の願いのため、自分の立ち位置を守るために「このまま」を望む沙弥香と、13話を経た侑が、燈子に対して類似した立場であることが描かれる。

このエピソードがカットされたことで、舞台の小糸侑は燈子との「このまま」を望む人物ではなくなった。寂しさを埋めるために自分の気持ちを隠すある種のずるさはなりを潜め、かわりに燈子への気持ちを素直に表せないもどかしさを抱える女の子になった。

「キス、……いつも先輩からだな。今度はわたしから……。なんて、きっとできない」

燈子からの拒絶に、慌てて「誰も好きにならない小糸侑」を取り繕ったあとの侑はこう独白する。舞台の彼女は、内心ではずっと変化を望んでいる。

劇の中で起きたこと、得たもので変わっていった小糸侑。原作とは違うルートでゴールを目指す彼女の、また別の形。そんな風に考えられるようになったのは、やはりこの舞台が真摯に作ってあるからだ。

 

おわりに

キャストやスタッフのこの舞台にかける熱意は様々なところで感じられた。最終稽古前日に変更された結末、たとえ見えないところでもキスしていないことがわかったら嫌だという理由できちんと演技をしてくれた侑役の河内さんと燈子役の小泉さん。

千穐楽で沙弥香の報われなさに声を詰まらせ涙をこぼした沙弥香役の礒部さん。他キャストもアンサンブルに至るまで、この作品を良いものにしようという意識で演じてくれたのが伝わった。

また作品づくりとは関係のないところでも、観客の誘導、当日券の抽選方法や物販の案内も細部に至るまで配慮が行き届いていて、毎回気持ちよく観劇することができた。

関わった方々皆様のお陰で、良い体験をすることができた。本当にそう思う。

---

良い舞台を見せていただいてありがとうございました。こんなに何度も足を運んだ舞台は無かったし、こんなにひとつの舞台について考えて考えて文章を書いたこともありません。

アニメにしろ舞台にしろ、まず原作の持つ力があって、そこに集う人たちがその魅力をなんとか自分たちのやり方でもっとたくさんの人たちに届けたいと、そう思った結果が相乗効果を生んだのだと思います。

舞台の再演、地方公演、そしてアニメ2期、心からお待ちしています。

舞台『やがて君になる』感想

この記事には舞台『やがて君になる』の重大なネタバレが含まれます。

また、単行本未収録の40話の内容にも踏み込んでいます。

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『舞台 やがて君になる』を5月3日初日(4列目下手端)と5月8日夜公演(2列目下手端)で鑑賞した。

アニメでやった範囲を超えて生徒会劇をやってくれたこと、ぴったりのキャスト陣を連れてきてくれたこと、衣装や不自然にならない程度に原作に似たキャラクター造形、キャストの演技ほとんどに関してはおおむね満足している。

一番評価できないところはあまりにも詰め込みすぎて間がなさすぎるところ。この点だけでわたしはこの舞台を手放しで褒めることは出来ない。セリフの多い役は皆がそうだったから、これはディレクションの問題だと思う。

たたみかける会話劇の面白さというものはあると思うけど、やが君にそれが合ってるかというとそうではないと思う。

登場人物の気持ちが変化していくのが肝の話なのに、観ている側がそれを理解する前にセリフがどんどん先に進んでしまう。セリフが一番多い侑は特に早口すぎて、聞きもらすと何の話をしてるのかわからなくなりそう。原作やアニメを見た人なら筋がわかるかもしれないけど、舞台でこの物語に初めて触れた人にこの話の良さを理解してもらえるかどうかは正直疑問だ。

例えば、侑が燈子を体育館外に連れ出そうと、理子先生に声をかける場面。生徒会室でキスしてもいいですよと言う場面。あと3秒待つだけでだいぶ印象は変わるはず……。惜しい。

他にも見ていて、今なんでそう思った?落ち着いてくれ、と思う場面が山ほどあった。上演時間が今の1.5倍あれば、みんなきちんと間をとって演技できたんだろうか。でも文芸作品でもないのに3時間越えは難しいか。

 

小糸侑

侑はビジュアルは完璧に侑で、原作やアニメよりもだいぶ年相応の高校生だった。感情豊かで身振り手振りが激しくて元気であわてんぼうな感じ……?「降り籠める」時点で自分から燈子にキスしたいと思う侑……?それは小糸侑なのか……?小糸侑とは……?(哲学)

多分わたしの中で凝り固まった小糸侑と演出の意図する小糸侑と違っていたというそれだけなんだろう。

侑の、あの何かをぎゅっと握る癖が再現されてて、そこは胸をぎゅっと掴まれた。加えてとても良かったのが、生徒会劇終盤、自力で立ち上がろうとする燈子を支えたいけれど、それを我慢して自分のナース服をぎゅっと握るところ。それから、原作28話の屋上のシーン。個人的にはここがこの舞台の白眉。他の場面では気になる間もきちんととってあって、激昂する燈子と対峙するギリギリの緊張感が出ていた。あそこでキスさせてしまえば共倒れ。言い方をひとつ間違えば永遠に燈子を失う。そういう侑が珍しく感情をむき出しにするシーンが、侑役の河内さんの演技と噛み合っていたように思う。

演技の細かい好きなポイントを挙げていくと、選挙演説の前に弱った燈子が頭を預けるシーンで、燈子の頭上に手を掲げて、撫でようかどうしようか逡巡してぎこちなく頭に手を置くシーン。

それから部屋での勉強シーンで「手首かー」のあと、足を伸ばして座って足先をぱたぱたさせるところ。原作侑もアニメ侑もあんな動きはしてないけど、なぜか侑っぽさをあの動きに感じてしまった。

河内さんは大量の(しかも早い)セリフをほとんど噛むこともなく演じきっていて、座長としての最後の挨拶も堂々としていて、完璧なのはこの子の方なのでは…?と思った。彼女は近いうちにもっと大きな舞台に出ていくんじゃないだろうかという予感がする。

 

七海燈子

初めにキャスト写真見た時正直カツラ感が凄くて心配してたんだけど舞台では地毛だったのかな?自然な黒髪ロング。体型が完璧に漫画の燈子。こんな人に好き好き言われて落ちない人っていないと思う。

七海燈子が立体になったらこういう立ち居振る舞いをするんだろうな、という小泉もえぴさん。舞台になって際立っていた燈子の特性の一つにそのずるさがあって、一番それを強く感じたのが、侑と手を繋ぐために手を差し出す、そのやり方。確かオープニングと河原のシーンで2回出てきたけど、自分からは握りにいかない。右手を「甲を上にして」差し出して待って、侑に握らせる。演出意図としては燈子のためらいや自信のなさを表したかったのかもしれないけど、王が臣民にキスさせるために手を差し出すような姿を連想してしまった。こんなやり方で燈子のずるさを表現できるとはね、と感心しきり。

わたしの席が2回とも下手端だったので、河原のシーンでは燈子の表情がよく見えた。頑なな決心が、侑の必死の引き止めに動かされていく様子が手に取るようにわかった。

「どっちの先輩のことも好きにならない」で目を開く、「これまでも これからも」で視線を床に落とす。その後のすがるような「ほんとに?」の言い方は忘れられない。

その直後、沙弥香に対して侑が劇を手伝ってくれることになった云々の会話をしているときの、七海燈子のあのずるさ!舞台にまだ河原のシーンから連続した侑が残っている状態でその会話をするのがまたひどい。「なんだかんだで頼まれたら断れない性格なんだよ。優しいから」先輩ずるすぎるでしょう?

この時の侑の演技は、顔の表情や身体表現が原作アニメよりも豊かな舞台版の侑だからこそ、できた表現だったかもしれない。

侑と同じく燈子も感情の振れ幅が大きい感じだったけど、やはり屋上シーンの燈子の追い詰められ方が真に迫っていて手に汗を握った。キスシーンの後はにかみながら髪を耳にかけるの可愛すぎるでしょう……。侑の部屋で勉強してるとこの緊張演技はちょっとやりすぎててギャグかな。

 

佐伯沙弥香

侑、燈子、沙弥香で作る「三角形の重心」をステージに立つことで表現していたのも、舞台ならではだったと思う。それぞれが一方通行で表すモノローグは原作から順番の入れ替えをされていたけど、その編集の仕方はとても好きだ。沙弥香の「燈子があんなに人と距離を詰めるの見たことない」というセリフには焦りと悲壮感があった。「侑と燈子の物語」にフォーカスしたこの舞台からはどうしてもこぼれ落ちてしまう沙弥香の心情を、あの演技が端的に表していた。舞台沙弥香は主役2人のサポート役の面が強いなと思って見てたけど、あそこで佐伯沙弥香というキャラクターが肉体を得て重さと影を得たような、そんな印象を受けた。

都さんとの「ふーん…」「ふーん?」「なによ」のやりとり良かったな。背伸びも無理も人に合わせようともしてない、リラックスした、人の心の動きに聡い女子高生が大人をからかうあの感じ。

 

その他キャスト

こよみの完成度は他の方が感想で書いてる通りで、槙くんは漫画よりも上背があって男っぽさが増してるぶん、「見ちゃったんだ昨日」の時の侑に対する脅威度があがっていた。演技もとても自然だったし、「面白いな」の言い方が好きだ。堂島はおおざっぱな演技含めて堂島度高い。見る前は槙と堂島のキャスト逆じゃないのかと思ったけど、実際見てみるととても納得した。個人的に朱里の朱里感に大満足。大垣先輩にフラれた後の舞台オリジナルの台詞で、正確な言い回しは忘れてしまったけど「返ってこない気持ちを持ち続けるのって辛いよね」というものがあり、「『好き』ってなんなんだろう」と問いかけ続けてきたこの物語にそぐう、良い台詞だと思った。

 

メインキャラの衣装替えのタイミングなどのために理子先生と都さんの出番が大幅アップ。メインのストーリーがしんどい時に、あの2人が出てくると肩の力を抜いて見ることができた。特に都さんは笑いを提供してくれることも多かったし格好良くてなおかつお茶目なところがふんだんに出ていた。この舞台で立道さんファンになった人もたくさんいるんじゃないかな?

 

オープニング

「だって私 君のこと好きになりそう」

♪チャラララー ラララー

(君にふれて…?!

ミュージカルでもないのにキャスパレがあるだと……?!)

(※舞台のオープニングに使われる、登場人物の顔見せ的な面と、イメージアクトを連続で見せるような身体表現。一般的な演劇用語ではない。こういうやつ)

ピースピット2017年本公演『グランギニョル』キャストパレード - YouTube

オープニングは本当にびっくりして多分声が出た。

ステージの一番高いところに立つ燈子を、一番下にいる侑を含めた舞台上の全員が見つめるところで、これは侑が周りの人たちと関わりながら、七海燈子という謎を解いていく話なんだという印象を持った。

サビあたりで見つめあった2人だけど、"強がりも" で侑が、"弱さも全部" で燈子がそれぞれ背を向けてしまうのも象徴的だった。オープンエンドの使われ方はとても意外で、でも違和感がなくて新鮮だった。

 

舞台装置

棚田のように奥に行くにつれ高くなるステージ、奥には御簾のようなのれんのような垂れ下がる紐の集合体がふた組。舞台上には高さの違うボックスがいくつか。これが配置を変え机になり椅子になる。

周りには窓のような形の枠組、これが時間の経過や心理描写を表すスクリーンにもなる。

面倒だから紐の集合体のこと御簾って呼んでしまうけど、この使い方が面白かった。

侑が初めて燈子に会う場面で、燈子は御簾の後ろに立っていて、顔はよく見えない。初めから燈子の顔を見せないのは原作の再現でもあるし、観客にあの人は誰だろう?と期待を高めてもらう意図もある。アンサンブルがモブ(槙くんに告白する女子、侑の恐れの中の燈子の陰口を言う生徒)を演じる時もこの向こうにいる。槙くんも初登場時ここから出てきてたけど、舞台に立ちたくない彼の特性を表してた?他の名有りキャラがここから出てくることってあったっけ?

御簾はスクリーンにもなっていた。印象的なフレーズを文字として投影してた。「君しか知らない」はわかるんだけどなんで「感じなかった」だったんですか「何も感じなかった」じゃだめだったんですか(謎)

 

演出など

シーンが終わった後に人物が舞台上に残って、向こう側で始まった別の芝居を見る、っていう演出が何度かされていた。槙くんの「一番近くで観ていたい 特等席で 大事に見守らなきゃ」の後に始まった燈子と侑の勉強しながらのやりとりをずっと上手端で見つめる槙くんとか、みやりこの家でのやりとりを見つめる沙弥香とか。誰が、どんな感情を抱えて何に興味を向けているのかが一目でわかる、舞台でしか出来ない演出だと思う。(槙くんの方はアニメ総作監の合田さんの落書きを思い出して笑ってしまったけど)

そう考えると、燈子の項でふれた、燈子の沙弥香とのやりとりを舞台上に残って聞く侑は、残っていながら振り返りはしないっていうのがもう、侑の心境考えると腹が痛くなる。

 

劇中劇の、「現実」との違いをどう表すのかと思っていたら、照明が効果的に使われてた。使われてたのは舞台上に置かれたスポットライトと天井真上のライトだけだった?シンプルで高校の体育館でやってる感じが出ていた。

劇中劇で同級生と弟はベッドサイドに置かれた椅子に座って、恋人だけはベッドに腰掛けるっていうの、いいね…!!

 

結末

劇中劇が終わったあたりからこれ結末どうするんだ……とそわそわしながら見ていた。「零れる」ルートに入ったとわかった時の緊張感と手汗。えっバッドエンド?からの舞台やがて君になる2の予告?次回、小糸侑死す!デュエルスタンバイ!などと考えていたら燈子の

「侑も、変わっていいんだよ」

の一言でああこの舞台はオリジナルの結末を迎えるんだな……と安心したところからの

「うれしい」

今わたしは何を聞いたのかと呆然としているうちに、燈子が嬉しそうに侑の手を取り、頬に当てる。「ぐちゃぐちゃになるけど」のあのポーズだ。何が起きているのか理解して握った手が震える。

終わった後はウワー、ウワーそー来たかー!としか言えなかった。5月3日が初日だったから、40話が世に出てからの公演だったからできたことだなと。そういえばアニメの製作が決まった時も、後の展開をアニメサイドに渡して作ってたって言ってたもんな。なるほどね。

 

?!

 

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はじめに書いたように、わたしはこの舞台そのものに高い評価をつけることはできない。でも他では得難い体験をさせてもらったし、演劇の構造を意識して作られているやが君を、実際の舞台として観ることができたのは本当に幸運なことだったと思う。

完璧ではないけど好きだ。これが正直な気持ちです。

千秋楽にまた行きます。観るのを楽しみにしている。