重箱

好きなものをつついていく

『やがて君になる』キャラクターがコマからはみだすとき

この記事は有志による非公式企画「やがて君になる Advent Calendar 2020」に参加しています。


 仲谷鳰による恋愛漫画やがて君になる』が2019年秋に完結し、最終巻が発売されてから1年が経過した。
 この1年の間に様々なことがあった。2020年春からはコロナウイルスが流行し、東京オリンピックは延期され、2020年秋に上演予定だった舞台『やがて君になる』encoreも延期になり代わりに朗読劇『佐伯沙弥香について』が上演された。個人的には2019年末に生まれて初めて同人誌を作り、コミケに初サークル参加したのだが、そこからもう1年も経ったのかという気分である。

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 今回、Advent Calendarといういい機会をいただいたので、前から気になっていた「やが君のキャラクターはどれだけはみだしているのか」を調査していこうと思う。
 比喩的な意味でなく、文字通り、「人物がコマからどのようにはみだしているのか」を調べていく。どのキャラクターがもっともはみだしているのか? そしてその狙いはどこにあるのか、何のためにはみだしているのかを考えてみたい。

 「コマからはみだす」というのがピンとこない人はいるだろうか。例を図示するとこうだ。

はみだしドラちゃん

はみだしドラちゃん

 この技法の正式名称は調べても分からなかったので、この記事では「はみだし」と呼んでいくことにする(名称ご存知の方教えてほしい)。はみだしの目的としては、「読者にキャラクターを印象づける」「アクションシーンの躍動感を出す」「時間の経過を表す」などが思いつくが、それ以外にも意図されるものはあるだろうか。

 前置きはここまでにして実際に見ていこう。文字だけではいまいち伝わりづらい部分もあると思うので、『やがて君になる』をお持ちの方はぜひ手元に置いて該当箇所を参照しながら見ていただければと思う。

1巻
1話 『わたしは星に届かない』
侑(初登場・全身ぶち抜き) 侑(振り返る)
2話『発熱』
久瀬(初登場) 燈子・沙弥香・侑・槙(かんぱーい!) 燈子(バレー) 立候補用紙 侑・燈子(わたしが聞きたいです)
3話『初恋申請』
なし
4話『まだ大気圏』
燈子(連休明けは~) 菜月(初登場) 燈子(わっ)
5話『わたしを好きな人』
沙弥香(緊張してる?) 

 1話目、1P目から堂々の主人公。全身ぶち抜きである。ページをめくってすぐの再登場でもはみだしている。主人公が読者に印象付けられなくては話にならないので、これでもかとコマからはみ出すし、これでもかと名前を呼ばれる。意外だったのは燈子がまだはみだしていないこと。ただ、はじめ2P顔を映さずにおいてめくりの大ゴマで顔を見せたり、その直後のロングショットで自己紹介したりしているので、やりすぎるとしつこいと判断したのかもしれない。

 2話目はまさかの久瀬会長。そしてまさかの立候補用紙。無機物は想定していなかったので見つけた時笑ってしまったけど、大事なプロップ(小道具)ならそういうこともあるよね。ちなみに無機物としてまた別のものが後の巻ではみだすので、何なのか予想してみてほしい。
 久瀬会長をはじめ、重要度の高い人物が初登場する場合ははみだしていることが多い(久瀬会長はこの話以降出てこないけど)。1話のこよみ、朱里、沙弥香、槙がはみだしていないのは、まず主人公とヒロインにフォーカスを当てたいという意図か。
 バレーをする燈子のはみだしはアクションシーンだから、というのが大きそう。あとは運動もできるキャラですよというアピールかも。

 4話、菜月も初登場はみだし。燈子の「わっ」は、「意外な人が来た」印象の強調か。
 5話、沙弥香はメインキャラとしての登場が2話以来だったため、重要キャラだということを読者にアピールする意図か。こういう「ちょっと久しぶりだけどこの人は大事なキャラですはみだし」はかなり頻繁に使われる。


2巻
6話『好きとキスの距離』
堂島(初登場) 燈子(キスしたい)
7話『役者じゃない』
侑(接待シーン) 
幕間『深読み書店』
なし
8話『選択問題』
なし
9話『続・選択問題』
侑(ただいまー) 
幕間『夜明け前のこと』
燈子(燈子は誰とでも親しげに接するし〜) 沙弥香
10話『言葉は閉じ込めて』
侑(見てみたいけど……) 沙弥香(さ佐伯先輩!?) 
十話『言葉で閉じ込めて』
幼い燈子

 6話、堂島初登場はみだし。コマからははみだしているものの、上のコマにははみだしていないと言うちょっとレアなパターン。キスしたいの燈子は、存在感が増す=侑から見て距離が縮まったことの表れ?ここの意図についてはちょっと自信がない。
 7話ははじめ侑をつついて面白がる槙くん視点で話が進むが、接待シーンからは一時的に侑の心境にフォーカスが戻るという合図に見える。
 幕間の燈子は、明らかに隣に座る沙弥香から見られている姿だ。はみだしの意図として、このように「誰かから見られている、客体として存在している」ことを強調したいときに使われることがあるようだ。
 10話の侑は、バックに描かれている弱みを見せる燈子を考えている、思考に没頭していることの表現か。対して次ページの沙弥香のはみだし(下側がはみだしている珍しいタイプ)は、沙弥香の出現に驚いている侑の心境にクローズアップする意図がある。幕間の燈子と同じ用法だ。
 十話の幼い燈子のイメージカットをはみだしと数えるべきか迷ったが、煙の線でコマ割りされていると判断して1カウントした。周りからの悪意のない励ましの声が、積み重なるうちに燈子の人格形成に強い影響を及ぼしていくことがわかる。用法としては10話の侑と共通している。


3巻
11話『秘密のたくさん』
朱里(助けてー) 燈子(完璧な私) 都(お風呂お先) 
12話『種火』
沙弥香(1p目) 都(あら?こんにちは) 
幕間『その頃のお姉ちゃん』
侑(全身ぶち抜き) 怜(あんた真面目ねー) 燈子・怜(レシピ教えてもらえませんか) 怜(まさかね?) 
13話『降り籠める』
侑・燈子(相合傘)
14話『交点』
なし
幕間『先輩、後輩、その後輩』
なし
15話『位置について』
侑・燈子(体育祭の進行) 
16話『号砲は聞こえない』
都 芹澤(初登場) 侑(リレー) 侑、燈子(キス)

 11話の朱里は「久しぶりはみだし」。燈子は「後ろに隠した私」が影となって描かれているのと対照的に、光を浴びる「完璧な私」の強調だろう。ここの部分はアニメのカメラワークも面白かった。
 12話の沙弥香は、1P目にはみだしキャラを置くことで、今回の主役が誰なのかを示していると思われる。この手法は4巻の幕間や7巻37話など、沙弥香が主役の話でよく使われる。
 ちょっと話が逸れるけど、幕間の小糸姉妹はぶち抜きの侑を加えると同じシーンの会話を4方向からのカメラで撮っているような描き方がおもしろい。13話の侑の回想の手が窓から差し出す現在の手と重なる演出にも見られるように、仲谷先生は映像を切り取るようなやり方でコマ割りをする人なのかもしれない。
 13話の相合い傘は、見せゴマであると同時に帰り道を歩いている時間の経過の意味もあるだろう。この用法でわかりやすいのが15話の体育祭のはみだしだ。生徒会長の挨拶から始まり、ハードルを飛び越える侑のバックにモブの走る姿が描かれることにより、体育祭が進行していく様を表している。また、16話のキスシーンにもこの「時間の経過」技法が適用されていること(プラス、長めのモノローグが重ねられていること)により、相当長い間ふたりがキスしていることが自然と理解できるようになっている。


4巻
17話『私未満』
なし
18話『昼の星』
燈子(侑おはよう) 燈子(合宿をしませんか) 
幕間『初恋はいらない』
沙弥香(髪をいじる) 千枝(flip flop) 
19話『逃げ水』
侑(寝転んでゲーム) 侑(ランニング) 菜月(久々の登場) 侑・菜月(買い物) 
20話『三角形の重心』
燈子(劇の主人公) 燈子(脱衣) 市ヶ谷(顔出し初登場) 
21話『導火』
燈子(発声練習) 沙弥香(花火する一年をバックに) 侑(燈子と沙弥香を見つめる)
22話『気が付けば息もできない』
沙弥香(コンビニで) 燈子(甘えちゃうと思うんだけど) 

 4巻もバラエティに富んだ使い方がされているはみだし。幕間柚木千枝、19話菜月の「久しぶりはみだし」19話侑の「アクション」21話沙弥香の「ここからの主役」。中でも注目したいのがまず20話、脱衣所での燈子だ。これは2巻幕間と同じ、「誰かから見られている」ことを強調したい意図がある。誰の視点かは言わずもがなだ。
 そして21話ラストのコマの侑。はみだしが1P目にくることは多いが、最後に来るのはやが君ではとても珍しい(他の例は5巻巻末漫画の侑くらいだ)。沙弥香が一歩踏み込み、燈子と心を通わせる一方で、それを遠くから見つめる侑の表情は穏やかではない。ここまで無表情だったことはあっても、怒りともとれる顔を見せるのは初めてのことだ。侑にはセリフもモノローグもない。はみだしによって強調される侑の心境は言葉では語られず、読者には理解力が求められる。個人的にはこういう表現は、作者から読者が信頼されているような気がしてとても好みだ。


5巻
幕間『これまでとこれから』
侑(Echoに入店) 
23話『終着駅まで』
燈子(お墓参り) 
24話『灯台
侑、燈子(着いたー!) 侑、燈子(水族館)
25話『憧れの着地点』
槙(やあ) 
26話『共演者』
なし
27話『怖いものひとつ』
燈子(何を知っているというの) 侑(知ってるよ) 
28話『願い事』
なし
巻末漫画
侑(悪くはない かな)

 5巻ははみだしが控えめ。なんと槙くんは単品でのはみだしは25話が初めてという控えめさだ。23話の燈子は、その後ろのコマに描かれたものと合わせて、その事物に対してはみだしキャラの心境を読者に考えさせる効果がある。21話ラストの侑と共通した用法だろう。
 27話の燈子と侑のはみだしは難しいな……。二人のしゃべっている内容は劇が変更された部分の掛け合いセリフであり、燈子を変えようと動く侑と、それに反発する燈子の現実の心境を表す言葉でもある。その二重の意味を読者に示唆するための強調だろうか。


6巻
29話『開幕』
なし
30話『前篇』
少女:燈子(私は…誰だっけ……?) 同級生:堂島(初登場) 弟:槙(初登場) 弟:槙 恋人:沙弥香(初登場) 恋人:沙弥香(なんでも聞くわ) 少女:燈子(私にも 永遠に!) カーテン 
31話『後篇』
少女:燈子 看護師:侑 少女:燈子(こんにちは) 少女:燈子(来てくれたのね!) 恋人:沙弥香(退院も近いわね) 少女:燈子(杖で立ち上がる) 少女:燈子(違ったんだね) 少女:燈子(ありがとうこれまでの私) 
32話『舞台の下で』
なし
33話『助走』
なし
34話『零れる』
なし

 圧倒的な少女のはみだし率! 調査を始める前は生徒会劇だけでこんなにあると思っていなかったので、登場人物のはみだし具合に思わず笑ってしまった。でも考えてみれば劇中劇の登場人物はみんなこの話で初登場なので「初登場はみだし」が増えるのは当たり前だ。更に、少女以外の3人が初登場するときは必ず「少女から見た角度、姿」ではみだしている。少女が緊張して出迎えているからだ。そう考えれば病院に看護師がいるのは普通のことなので、看護師が初登場ではみだしていないのは当たり前の描き方だと言える。
 2話の立候補用紙以来の無機物はみだしの答えは劇中で少女が握りしめるカーテンでした! カーテンの裾が次のコマの少女の視界をも覆い隠し、視界を遮る。コマの端のラインがそのままベッドの端に見立てられ、垂れ下がる描き方が面白い。
 31話の少女が友人・恋人を出迎えるときのはみだしは、深読みすれば「誰かから見られている」用法を発展させた「見られていることを本人が意識している」はみだしではないだろうか。もちろん、少女が演じているそれぞれの役柄を読者にわかりやすく提示するため、という目的もあるだろう。
 (違ったんだね)の少女のはみだしは、5巻27話で同セリフを練習していた頃の燈子とは打って変わって、明るい表情であることの強調だろうか。27話では右方向(過去)を向いていたのに対して、今回は真左(物語の進行方向、未来)を向いていることにも留意したい。さらに言ってしまえば少女最後の二つのはみだしは侑視点での燈子という読み方もできるかな……。私はもう大丈夫、と松葉杖(≒侑)を置いて一人で起つ燈子を見つめる侑。さすがにそれはこじつけすぎか。
 30話表紙の燈子をはみだしとカウントするかどうか迷ったけど、コマではないと判断してここは数に入れないことにした。これを入れてしまうと4巻18話の表紙の侑も入れないとおかしいし、ちょっと違うかなと思ったので。それにしても30話表紙はよく見るとカーテンが2枚あったり、足元から見れば額縁の向こうにいる燈子が上半身はこちら側に迫り出していたり、生徒会劇と現実とが二重写しになっている物語を的確に表したものだと思う。


7巻
35話『一人と一人』
侑(カラー) 侑(登校)
36話『いつかの明日』
沙弥香(話し合い) 都(さあ乗って) 
幕間『答え合せ中』
理子(ばか) 理子(試してみてもいい) 都の手
37話『灯す』
燈子(私好みの造形) 
38話『針路』
手を繋ぐ侑と燈子(イメージ) 燈子(昨日の返事 するね) 手を繋ぐ燈子と沙弥香(イメージ) 沙弥香(後ろ姿)
39話『光の中にいる』
侑(バッティングセンター) 侑(思い出の場所を巡る) 燈子(遠見駅到着)

 35話カラーページの侑も、23話燈子と共通した用法「キャラクターの思考強調はみだし」と思われる。続いてのモノクロページでもはみだすことにより、侑が登校中のあいだもずっと失敗してしまった告白に囚われているという、「時間の経過」と「思考に没頭している様」の二重の意味が込められている。
 36話、幕間と続けて「今回の主役はみだし」が使われている。理子先生は今回が初のはみだし。37話の燈子はわかりやすく「沙弥香から見られている」姿。沙弥香って本当に燈子のこと好きなんだな……。
 38話の手を繋ぐ燈侑、手を繋ぐ燈沙のイメージが対比されてるの今回始めて気がついたので、わたしはまだまだ読み込みが足りない。そしてこのふたつはどうしてはみだしているんだろう……。燈侑はなんとなくわかる。つがいの鴨を見た途端、燈子の脳裏に在りし日の自分たちの姿がフラッシュバックしたんだろう。それくらいの強度をもって沙弥香といる自分を考えたということなんだろうか。
 その後の沙弥香の後ろ姿も難しい。このときの沙弥香は、きっと今までの自分が燈子のためにしてきたこと、しなかったこと、できなかったことを考えている。後ろ姿を見る読者は、沙弥香の内面と表情を想像する。そう考えると、ここも思考強調の用法と考えていいのかもしれない。
 39話、バッティングセンターの侑は槙くんに「見られている」はみだし。自販機や踏切など、燈子との思い出の場所をめぐる侑はやはり「時間の経過」「思考」の二重構造。そして最後の燈子は、侑が、そして読者がまだかまだかと待ち望んでいた姿だ。お出ましはみだしとでも呼べばいいのだろうか。いやダサいな。「待ち望まれた人の登場」にしよう。


8巻
40話『わたしの好きな人』
侑(わたしは七海先輩を) 侑(背が低いところも) 侑(選んできました) 
41話『海図は白紙』
侑・燈子(手つなぎ) 
42話『記述問題』
燈子(ボウリング) 沙弥香(……っ) 侑(走る)
43話『続・記述問題』
侑(劇場ホール) 燈子(ステージ)
44話『夜と朝』
なし
45話『船路』
侑(今出るとこー) 沙弥香(久しぶりね) 侑(出迎え) 燈子(出迎えられ)

 41話の手つなぎはみだしは3巻13話の相合い傘を彷彿とさせる描き方。あのころからの関係とどれだけ変わったかを思ってついぼんやりしてしまう。このシーンも分かれ道につくまでの間ずっとあのエモエモしい手のつなぎ方をしてきたんだとわかるし、42話の侑のはみだしもアクションに加えて時間の経過も入ってるっぽいので家からずっと走ってきたんだなということが一目瞭然だ。侑がこんなに恋愛の楽しいところを謳歌できる日が来るなんてなあ……!世界は平和。同じく42話のボウリングシーンは斜めにコマ割りされていることにより、ピンが弾け飛ぶ様子や燈子のアクションが強調されている。
 43話のステージに立つ燈子は、「待ち望まれた人の登場」である。姿を現すだけでそこにいる全員の耳目を集めるスター性を感じさせる。
 45話は3年後のエピソードなので、侑、燈子、沙弥香の3人の新しい姿初登場シーンではみだしが使われる。巧みなのはその使い方だ。侑と沙弥香が先にお披露目されれば、読者は「燈子はまだかな」という気持ちになる。作中では侑が燈子の到来を知り、心待ちにする様子が描かれる。読者と侑の気持ちがシンクロする作りになっているのだ。そして待ち望まれた燈子の姿が大きく描かれる手法は、言うまでもなく43話のステージに立つ燈子のときと同じだ。前ページの侑と合わせて、二人がお揃いの指輪をしている様子がさりげなく描かれているのが心憎い。

集計
燈子 40回
侑 35回
沙弥香 16回
都 5回
槙 4回
菜月 3回
堂島 2回
久瀬 1回
立候補用紙 1回
朱里 1回
芹澤 1回
千枝 1回
市ヶ谷 1回
カーテン 1回
理子 1回

 生徒会劇の少女だけで8回もはみだしていたこともあり、1位は燈子の40回。おめでとうございます!3位までは納得の面子だけど、4位に都さんが来るのが面白い。実はこの調査をしてみようと思ったのも、なんだか都さんと菜月ってよくコマからはみだしてないか?と思ったからなのだった。全体で見れば登場頻度はそれほどでもないけど、出てくる時には重要な役割を果たす人だったからよくはみだしていたということなのだろうか。
 それから意外や意外、重要な登場人物の割に一度もはみ出さなかったのがこよみ。25話で1回くらいはみだしてるだろうと思ったんだけどな。こよみ先生は控えめなのか。

まとめ
 では、『やがて君になる』において、キャラクターがコマからはみ出すときにはどんな意味が込められているか、わかったことをまとめよう。

  • 初登場のキャラクターを印象づけたい場合
  • 1p目に置くことで、その回の主役を表す
  • 話中での視点キャラの交替
  • アクションシーンの躍動感を出す効果
  • 登場までに間が空いたが、重要なキャラである
  • 誰かから見られている、観察の対象になっているという描写
  • 複数のコマをバックに描かれることにより、時間の経過や行為の継続を表す
  • 事物が後ろに描かれることにより、それに対するはみだした人物の感情や思考にフォーカスする効果
  • 待ち望まれていた人物の登場

 同じ手法でも、たくさんの異なる効果があって面白い。個人的には「見られている」効果があるというのは大きな発見だった。


 『やが君』は読者に理解力が求められる作品だと思うが、決して読みにくい漫画ではない。むしろ漫画としての読みやすさ、情報をいかにわかりやすく伝えられるかに腐心されていると思う。はじめの3話を見るだけでも、主要な登場人物が何という名前でどういう性格で、人間関係がどうなっているのかを読者がスムーズに受け入れられるように工夫が凝らされているのがわかる(必ず名前や肩書で呼ばれるシーンがある、など)。
 今回ははみだしに限って見ていったが、それ以上にコマ割やカメラの位置、背景に映り込む小物、オノマトペの書き方など、ページ上には無数の作者の意図が込められていて、もっと細かく見ていけばまた新しい発見があるだろう。


 このコラムが『やがて君になる』を読む人の面白さを発見する一助になれば幸いです。

やがて君になる Advent Calendar 2020」 、自分一人では思いつかない視点で様々な人が『やがて君になる』を読んでいるのがわかるので、ぜひ他の方の記事も読んでみてください。

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